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視覚障がい者サッカー

ブラインドサッカー男子日本代表

ブラインドサッカーは、ゴールキーパー以外は全盲の選手がアイマスクをつけてピッチに立ち、ボールに入った鈴の音と声のコミュニケーションを頼りに行なう5人制サッカーである。日本代表チームは2020 年東京パラリンピックでメダル獲得を狙う。キャプテンを務める川村怜選手、田中章仁選手、松井康トレーナーから話を聞いた。

ブラインドサッカー男子日本代表
写真=佐藤裕気 文=丸山有美 2018/10/13

ピッチの上では自由を感じています。

ブラインドサッカー(視覚障がい者5人制サッカー)
視覚に障がいのある選手がプレーできるように考案されたサッカー。条件を同じにするため、ゴールキーパー以外はアイマスクを着用し、音の鳴るボールや声を頼りにプレーする。2004 年アテネ大会からパラリンピックの正式競技となった。

ゴールキーパーは視力的な制限は無いため主に晴眼者が務め、相手の攻撃状況などをディフェンダーへ伝える役割も担う。

練習を拝見して、皆さんがピッチで伸び伸びされているのが印象的でした。

(田中)自由を感じています。ふだんは見えない中で人や物にぶつからないようにとか、段差に気をつけてとか、常にいろいろな不安がいっぱいで歩いていますが、ピッチでは思いっきり走り回ることができるんです。
(川村)競技のルールは守らなくてはなりませんが、それ以外は、自分の望むままに動いて、全力を尽くして戦いに挑めるので楽しいです。子どもの頃から大好きなサッカーを思いっきりできるのは、自分にとって最高の喜びです。

アイマスクをつけることで誰でもフィールドプレイヤーとして参加できるので、ユニバーサルスポーツとしても関心が高まっていますね。

(田中)おかげでブラインドサッカーを知ってくれている人が増えてきました。小学校で体験会をする機会もありますが、それきっかけに視覚障がい者について考えてもらうきっかけになればと願っています。「見えなくても音が鳴るボールを使えばサッカーができるよ」と子どもたちに説明する時に、必ず、「他の障がいがある人たちと会ったら、どんな工夫をしたら一緒にスポーツや勉強や遊びができるかを考えてみてね」と話しています。

望むままに動いて全力で挑める。

音と声が頼りになるブラインドサッカーですが、どのようなケガがもっとも多いのでしょう。

(松井)通常のサッカーや他のスポーツに比べると、顔面や頭部の接触によるケガが多いです。目が見えているとぶつかる直前に受け身の態勢をとったり避けたりしますが、ブラインドサッカーの場合、お互いに加減なしで突進して衝突することがあるんです。
(田中)気配を感じて衝突を避けられる時もあるのですが、選手によっては不思議と気配を感じさせない人もいたりして(笑)。無駄なケガをしないためにも、ピッチでは声のコミュニケーションが大切です。慣れている人の声の方が格段に耳に入ってくるので、新しいメンバーが入ってきたばかりの頃は、その人の声をおぼえることがとても重要になります。
(川村)試合前は戦術的なことに関するミーティング、話し合いが増えますが、ぼくらは日頃から話すことを大切にしています。表情が読めない分、言葉で伝え合わないと互いのことが見えてこないんです。
(田中)後から試合を振り返りたくても場面の共有が難しいんです。ですから、練習中にこまめに声がけをして、ピッチの上での互いの位置関係をできるだけ把握するように努めています。

表情が読めない分、言葉でお互いを感じとる。

トレーナー
松井康
Yasushi MATSUI

松井トレーナーがラジオ波、超音波、ハイボルテージの3つの器機を選ばれた理由をお聞かせください。

(松井)ラジオ波は温熱の効果がずば抜けていますね。選手に試したときも、あてている箇所がすぐに温かくなるという実感の声があって、これは欲しいと思いました。超音波は以前から使っていましたが、フィジオソノはバッテリー式で持ち運べるので使い勝手がいい。それから痛みに対しては、ハイボルテージが断然即効性が高いですね。

ラジオ波を最初に使ったのはいつですか。

(松井)2015年9月のIBSAブラインドサッカーアジア選手権です。国立スポーツ科学センターのトレーナーに日本代表のサポートに入っていただいたのですが、その時にラジオ波を使っていらしたんです。それで初めてラジオ波の存在と、使い方を知りました。

お二人がラジオ波を初めて使った時はいかがでしたか。

(田中)ぼくは最初に腿裏、次は腰にあててもらいました。奥まで温まって痛みや張りがすぐに楽になったのと、その後にストレッチをしたら伸びやすくなっているのがわかりました。
(川村)深部がポカポカ温まって筋肉が緩んだ感じが得られました。ぼくは足首の後ろにかけることが多いですね。アキレス腱の周り。そのあたりが硬いことが多いので。
(松井)川村選手は、過去に足関節不安定症という診断を下されたことがあります。捻挫を繰り返すと靭帯の張力が失われて、足首を曲げるとか背屈の動きが硬くなりやすいんですね。そこにラジオ波の温熱が加わると軟部組織が柔らかくなって動きがしっくりくる。川村選手は鍼灸師の資格も持っているので、主観的にも客観的にも効果を感じていると思います。

ハイボルテージも使われますか。

(川村)ハイボルテージは強めの刺激で筋肉が収縮する感じがよくわかります。電気の刺激は個人の好みが分かれるところかと思いますが、効果が実感できるので、アスリートとして必要な時にはもちろんやります。
(田中)使用感がはっきりしているのでぼくはいいと思います。脛の内側に使うと、硬くなった足首の痛みがすごく楽になるのでよくやってもらっています。

大会6週間前のMCL損傷。
治療器を多用することで試合に間に合わせることができた。

※写真右より
川村怜
Ryo KAWAMURA

田中章仁
Akihito TANAKA

田中選手は今年膝の大きなケガをなさいましたね。

(田中)MCL(内側側副靱帯)の損傷で、これが3回目でした。日本代表チームの合宿では、メディカル面のいろいろなサポートを受けられて意見もたくさん聞けます。電気や超音波を当ててもらいながらリハビリに取り組んで、医師から告げられていた全治8週よりも早く復帰できたおかげで、2018年3月のIBSAブラインドサッカーワールドグランプリに出場できました。
(松井)試合は6週後で、間に合うように5週で治して欲しいと監督から要望がありました。初期対応として非温熱の超音波をあてたのですが、これが功を奏したのか、MRI画像で見た損傷の度合いの割には痛みがずいぶん抑えられていました。その後は、低出力モードの超音波、マイクロカレントで治癒の促進を目指しました。選手同様スタッフもふだんは別に仕事がありますので、茨城で働いているわたしの代わりに、東京にいる3〜4人で分担して5週間つきっきりでケアにあたりました。わたしは大学で物理療法を教えていて、治療器の高頻度の使用が治癒期間を短縮することに確信はありましたが、実際に取り組んでみて、選手にとって大事な試合に間に合わせることができたので、器機を導入して本当によかったです。

お二人にとってのトレーナー、治療器の存在はどんなものでしょう。

(田中)ふだんは意識していないけれど、ケガをしたり痛みがある時には絶対的に相談すべき人がトレーナーです。治療器はそのトレーナーが用いるものですので、自分が安心してプレイをするためのいわば保険で、必要なものだと思っています。
(川村)同感で、大きな安心感がありますね。トレーナーと治療器の存在があるのとないのとでは大違いです。ピッチに立って戦うためには、揺るぎない覚悟が必要です。両者のおかげで覚悟を決めて試合に臨めるのだと思っています。

 

トレーナーのおかげで、揺るぎない覚悟をもって試合に臨める。

松井トレーナーにとっての治療器の存在はどんなものでしょうか。

(松井)一番頼れる存在ですね。治療器のいいところは、設定が数値化されていて、なおかつ細かい設定ができて、確実な成果を上げられるところです。一度エビデンスが作られると再現しやすいのも特徴です。過去の文献をあたって、この設定でやればこういう効果が得られるというモデルを見つければ、それを再現、活用できます。その蓄積によって、さらに確実な成果を上げられるようになるし、治療計画も立てやすくなる。もちろん治療器では解決できない問題もありますが、うまく使って治療の幅を拡げて、選手にとって最大限の効果を出したいです。
一方で、できるだけ慎重に使いたいとも思っています。痛みは生体の危険信号という意味で大事なストッパーです。それを治療器で止めてしまうと体に負担をかけることもあります。選手としてはとにかく痛みを取ってほしいという気持ちがあるでしょうし、試合の大事な局面で痛みを抑えなくてはならないこともあるでしょう。ケースバイケースになりますが、今止めていい痛みなのか、止めない方がいい痛みなのか、医療従事者の目線でいつも見極めながら使いたいと思っています。

視覚障がい者サッカー

ブラインドサッカー男子日本代表

(ぶらいんどさっかーだんしにほんだいひょう)

※写真右より順不同

田中章仁(たなか あきひと)1978 年5月8日生まれ。静岡県出身。
身長162cm。たまハッサーズ所属。学生時代は弱視であったが2002年に視力低下。2005 年にブラインドサッカーと出会い、2008 年日本代表初選出。以降、危機察知能力の高さと的確なポジショニング、味方へのコーチングを武器に、日本代表DFの要として活躍。

松井康(まつい やすし)1986 年生まれ。北海道出身。
2004 年のアテネパラリンピックから正式種目となったブラインドサッカーと出会いトレーナー活動を開始。
・理学療法士・日本体育協会公認アスレティックトレーナー・日本障がい者スポーツ協会公認 障がい者スポーツトレーナー・NSCA-CSCS

川村怜(かわむら りょう)1989 年2月13日生まれ。大阪府出身。
身長169cm。Avanzareつくば所属。少年サッカーをやっていたが、7 歳のころから視力が低下し中学以降はサッカーを離れる。2007 年に進学した筑波技術大学で、ブラインドサッカーに出会う。2013 年日本代表に初選出され、ブラジルとの親善試合で代表初ゴールを奪った。日本選手権でもMVPを獲得した日本代表のキャプテン。

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