Advance Sports & Rehabilitationアスリートの明日へ踏み出すチカラと、それを支えるチカラ。
守りに入らず、挑み続ける男の、
こだわらないというこだわり。
そして、内に秘められた熱き想い。

陸上競技 長距離選手/NIKE

大迫傑

「他の選手の結果を待って選考が複雑になってしまうよりも、自分でシンプルに決めたかった」。2020年3月に開催された東京マラソンで、2時間5分29秒の日本新記録をマークし、その言葉通り、五輪出場の切符を自ら掴み取った大迫傑選手。守りに入らず、挑み続ける。大迫選手には、そんな言葉がよく似合う。人気と実力を兼ね備えた現役トップランナーでありながら、同時に後進の育成にも力を入れているという大迫選手に、その原動力やマラソンへの想い、そして現在、構想中の育成プロジェクトなどについて話を聞いた。

大迫傑
写真=大野勲男・奥富義昭 インタビュー・文=石川遍 2020/03/13

挑戦しないより、する方が自分の性には合っている。

五輪代表を懸けて昨年9月に行われた「マラソングランドチャンピオンシップ(MGC)」で3位という結果に終わり、このレースでの出場権獲得を逃した大迫傑選手。レース後、多くのメディアは、大迫選手が自身の持つ日本記録の更新を狙って対象となる大会に出場し、自ら権利を掴み取るか、それとも他の選手が自らの記録を突破しないと見越して吉報を待つか、難しい判断を迫られていると騒ぎ立てた。
しかし大迫選手によれば、MGC終了後にコーチと相談し、早い段階で東京マラソンへの出場を決めていたという。
「実はMGCで勝って出場権を獲得できた場合も、五輪までは時間が空きすぎてしまうので、注目度が高くモチベーションもあがる東京マラソンに出場してもいいんじゃないかと考えていたんです。だから周りが言うほど、出場に迷いがあったわけではなく落ち着いていました」と大迫選手は当時をそう振り返る。また、自身が「待つ」選択をすることで選考が複雑になるのも望むところではなかったという。
「自分としてはとにかくシンプルにしたくて。待って記録を抜かれるのも絶対に嫌でしたし。もともと挑戦しないよりもする方が自分の性にはあっていたので、だったら分かりやすいのは勝ちにいくことだろうと考えたんです」

マラソンの聖地、ケニアでシンプルな練習を積み重ねる。

東京マラソンが開催される三カ月前。大迫選手は、プロに転向して以来、長らく拠点にしてきたアメリカコロラド州ボルダーではなく、マラソンの聖地として近年、世界各国のエリートランナーたちから注目を集めているケニアのイテンという町で高地トレーニングを行っていた。
「何か特別な目的があったわけではありません。ただ、コロラド州はその時期、雪の多い季節で、なかでも去年は特に寒くて。それで、以前に話を聞いて興味を持っていたケニアへ一度、行ってみようと思ったんです。MGCで敗れて、何か新しいことに挑戦したいという気持ちも大きかったんだと思います」
標高2400mに位置するイテンの町は、不整地でアップダウンが多く、負荷の高いトレーニングをするのに適した場所だ。ただそこで行う練習内容が特別変わっているというわけではなく、大迫選手も、当初はいつも通りの練習を淡々とこなす毎日を送っていたそうだ。
「走れと言われたら誰でもすぐ走ることができるように、マラソンは、野球やサッカーと違ってとてもシンプルな競技です。なので突き詰めていくと、シンプルで当たり前のことを徹底的に積み重ねるしかマラソンで強くなる方法はないんだと思います。これだけ世の中に情報が溢れかえっていると、どうしても特別な方法みたいなものを探しがちですが、そんなものはおそらくありません。これは高校生だろうとトップランナーだろうと同じで、ただもう専念するしかない。これはしばらく滞在してから気づいたことですが、そういう意味でもイテンはとてもトレーニングに適した場所でした」と大迫選手は説明する。
というのも、当たり前の積み重ねは、その言葉が与える印象ほど簡単なものではないからだ。トップランナーの大迫選手をもってしても、当たり前を長期間続けるのは本当に大変な試練であるという。
「何かを乗り越えたり達成したりするわけではないので、一日がとにかく単調になりがち。期間が長くなれば緊張感を維持するのも難しくなってきます。なので今回、余計なものが何もないシンプルな環境に身を置き、そこで、粛々とシンプルな練習を続けるケニアの優れたランナーたちと知り合えたことは自分にとってとても良い刺激になりました」と大迫選手は話す。

超音波治療器が海外遠征時の必需品。

イテンでは、ランナー同士で練習をサポートし合うこともたびたびあったそうで、一人で困難を抱えたり、孤独を感じるようなことはただの一度もなかったという。
「普段はホテルで用意された食事をとっていましたが、時折、彼らに声をかけてランチをご馳走したり、逆に彼らが家に招いてくれて、牛を1頭、丸焼きで食べさせてくれるなんてこともありました。とにかく優しい人が多くて、練習もそうですが、生活自体もしやすかった。本当に良い経験ができたと思っています」と大迫選手は話す。
ちなみに、まったく知らない土地でトレーニングすることに抵抗はなかったのか聞いてみると、もともと食事などにはかなり無頓着な方であったため、特段、気になるようなことはなかったという。
「栄養も含め、リカバリーやコンディショニングが大切なことはわかっているのですが、それらに対して何かこだわりを持っているかと聞かれると、答えるほどのこだわりは何もなくて。割とちゃんと考えているのは睡眠くらい。ただそれもアスリートなら誰もがやっている程度です。他にカラダのためにしている特別なことといえば自宅でラジオ波温熱治療器を使っていることくらいですね」と大迫選手は話す。

こだわりがないという話とは異なるかもしれないが、ケニア合宿では、周りのランナーたちと同じように、現地のトレーナーにマッサージをお願いしていたそうだ。
「たまに驚かれるのですが、普通に頼んでましたよ。オイルマッサージが多いですが、1時間500円くらいで結構、ちゃんとやってくれます。ただちょっと足りないな、まだ少し筋肉が張っているなというときは、超音波治療器を使っていました」
ラジオ波温熱治療器はさすがに大きくて持ち運びできないので、今ではすっかり、超音波治療器が遠征の際の必需品になっているという。
「これがあると手軽に、筋肉をいつもの状態に保っておくことができるので安心。もちろん物理療法があればそれですべてが解決するわけではありません。ただそれはマッサージも同じ。それぞれが足りないところをうまく補い合うことで、リカバリーはうまくいくんだと思います。そのためには自分のカラダに今、どんなケアが必要なのか、自身がちゃんと把握していることが大事です」と大迫選手は話す。

自分の力で掴み取った日本新記録と五輪出場の切符。

冒頭でも触れたように、東京マラソンの結果は2018年に自身がシカゴでマークした日本記録を21秒上回る、2時間5分29秒で日本人最高の4位。自分を信じて掴んだ文句なしの日本新記録、そして五輪出場の切符だった。
雄叫びをあげ、ガッツポーズを決めながらゴールテープを切った大迫選手。翌日の新聞には「普段冷静な大迫が珍しく感情を露わにした」という見出しが踊った。
しかし本人の言葉を借りれば「あれも普段通りの自分の姿」なのだそう。
「よく、知らない人から感情を表に出さないって言われますが、知らない人の前で感情をさらけ出さないのは誰だって同じじゃないですか? マラソンでゴールするときはいつだって嬉しいもの。それに僕はもともと冷静なタイプでもないです」
ただ、大きな喜びがあったのも間違いないようだ。
「日本記録を更新できたのは本当に良かったです。けれど自分の挑戦はこれで終わりではなく、この先もまだまだ続いていきます。そういう意味では、東京マラソンももう過去のレース。あまり振り返っても、新しい挑戦の足枷になってしまうだけなので、これくらいですべて忘れて、また新しい挑戦をしていきたい」と大迫選手は話す。
新しい挑戦といえば、もちろん東京五輪が次の大きな目標なわけだが、大迫選手は現役のトップランナーでありながら、同時に後進の育成に力を入れていることでも知られている。
「今、取り組んでいるのは、世界で戦える日本人選手を輩出するための新しいマラソン大会の設立。それからもう一つは、今回高地トレーニングを行ったケニアのイテンに、宿泊施設やトレーニング施設を建設すること。自分自身が見て、感じたことを日本の高校生や大学生にも体験してもらいたいと思っていて、いずれはアカデミーのようなものが作れればいいなと考えています。いきなりアメリカへ行って言葉の壁にぶつかるよりも、こういうところで異文化や外国語に慣れるのも、よい経験になると思っています」

大迫選手によると、実業団を辞めた際に、将来のことを考える機会があり、これだったら自分は情熱を感じられそうだと思えたのが、今、取り組んでいるような後進の育成だったという。これまで高校、大学と競技を続けてきた中で、自身も指導者の方針や育成システムに矛盾を感じることがたびたびあったそうだ。選手個人のやりたいこととチームとしてやらなければいけないことが一致せず、トレーニングに費やせる時間が奪われていたり、せっかくの成長スピードが鈍化させられてしまっていることへの苛立ちも、こうした活動を続ける原動力になっているという。
それにしても大迫選手はなぜ、自身も一線で活躍しているうちからこのような取り組みを始めようと思ったのだろうか。
「確かに、現役時代は競技に集中して、こうしたことは自分が引退した後に考えればいいのかもしれません。しかし、そのタイミングでは、自分のランナーとしてのブランド力が今より落ちているかもしれない。自分を最大限、利用するなら今しかないと思ったんです。以前に比べると、注目度もずいぶん上がったと言われますが、それでもサッカーや野球などと比較したらまだまだです。日本のマラソンと、マラソンランナーの社会的地位を向上させるために自分にできることをこれからも続けていきたいと考えています」

陸上競技 長距離選手/NIKE

大迫傑

(おおさこすぐる)

1991年5月23日生まれ 東京都町田市出身。
3000m、5000m、マラソンの日本記録保持者。
中学校で本格的に陸上競技を始め、駅伝の強豪校長野県の佐久長聖高校に進学。
高校2年時に全国高校駅伝の初優勝に貢献。
その後、早稲田大学へ進学し箱根駅伝では2回の区間賞を獲得、モスクワ世界選手権10000m代表にも選出される。
卒業後は日清食品グループに入社し、2015年4月より、ナイキ・オレゴン・プロジェクト(アジア人史上初)へ正式に加入。
現在はナイキ所属、プロランナーとして活動中。

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