創業140周年記念製品「シャワーポッド アラエル」
2021/05/06
酒井医療株式会社は、1881年(明治14年)酒井嘉平治によって創業されました。
1893年に日本初の電気治療器「ヒルシマン氏平流感伝電機の製造に成功するなど、前例がなくとも率先して新たな道を切り拓いてきた創業者の想いは、「初雪をかく」という伝統精神として明文化され、その後も、脈々と受け継がれています。
節目の年を迎えるにあたり、創業から変わらない酒井医療の想いを込めて、140周年記念製品「シャワーポッド アラエル」をお届けします。
世界中が新型コロナウイルス感染症という未曾有の危機にさらされる中で、接触を最小限に抑えながら入浴介助ができるシャワータイプの入浴装置『シャワーポッド アラエル』も、これまでに提供してきた製品同様、多くの人たちを幸せにする製品になることを目指しています。
ロゴマークのストーリー
2021/07/27
140年間、ブランドイメージを担ってきたロゴマーク。
ロゴマークにはどういった物語があったのでしょうか。
1939年
1939年は世界第二次世界大戦開戦の年。
当時はまだ「リハビリテーション」という概念は明確に定義づけられていませんでした。
同年、酒井 嘉平治の養嗣子である 2代目社長 酒井 信正は、嘉平治から引き継ぎ発展させた医療機器製造業を株式会社化します。それが「酒井医療電機株式会社」の始まりです。
信正は、リハビリテーションという概念が確立される前から医療現場の要望に応え、後にリハビリテーションで使用される機器を数多く世に送り出していたのです。
この時代の企業ロゴはSマークにE.M.A.(Electro Medical Apparatus 医療電機)を添えたものを使用しています。
1960年代~
1960年に『厚生白書』で初めて、医学的リハビリテーションが予防および治療とならぶ医療の重要部門として言及されました。
1966年には日本理学療法士協会と日本作業療法士協会が設立され、この頃からリハビリテーションの制度が築かれていきます。
当時、リハビリテーションの揺籃期にあった日本でも、米国で盛んになった「運動療法」が注目され始めました。酒井医療は、運動療法機器に対しての期待の高まりを肌で感じながら、機器の製造・販売に励みました。
この頃の酒井医療では、運動療法の一つの目標である「歩行能力の再獲得」を象徴した「脚」マークを作成し、製品ブランドとしてすべての機器に貼り付けるようにしました。 この「脚」マーク、脚しか写っていないため、お客様から叱られるのではないか…と当時の制作者は心配していたそうですが、セラピストの皆様からは「リハビリの目標を表している」と受け入れていただくことができたそうです。
また、企業ロゴでは、書体等が揃っていなかったこともあり、創業88周年(1969年) を機にロゴを制作し、イメージ統一を図りました。
1980年代~
日本において高齢化が急速に進み、社会的入院や寝たきり老人が問題視されるようになりました。 1982年には老人保健法の制定。1989年にはゴールドプランの策定など、高齢化社会への対策が進みます。 酒井医療では高齢者施設の増加に伴い、入浴装置の需要が高まってきました。
この頃、開発製品やデザイン等の監修をお願いしていたインダストリアルデザイナーから「会社や製品にはまじめで硬いイメージがあるけど、それと企業ロゴはあまり一致していないのではないか」とのアドバイスをいただきました。 当時社内でも「そろそろロゴを新しくしてはどうか」という意見が少しずつ出始めていたため、企業ロゴを刷新しました。
福祉業界の発展が目覚ましい時代でしたが、酒井医療は福祉のお客様に対しても、リハビリテーションメーカーとして貢献していくというメッセージを示すべく、「Rehabilitation」の文字を付け加えています。
2000年代~
2000年は介護保険制度が施行され、2006年には「予防重視型システムへの転換」として介護予防制度が確立されました。
当社では2005年に企業イメージの向上を図るためブランドマークを一新し、ブランド名を「SAKAImed」へ変更しています。
タグラインの「明日に踏み出すチカラ」。
これは「健康を願う人・支える人、双方の信頼に応え、支えていきたい。」という企業理念を表しています。
また、右下のマークは支える手をイメージした「サポーティブハート」を添えています。
この「サポーティブハート」には、明日に踏み出す強い意志と人間的なあたたかみを表現した「レッド」を、文字部には専門性を表す「グレー」を配色しています。
これまでの140年間も、これからも、私たちは健康を願う人・支える人の明日に踏み出す力をサポートしつづけます。
カタログのストーリー
2021/09/10
カタログの語源はギリシア語のカタロゴス(katalogos)だそうです。
カタロゴスは「数え尽くすこと」という意味で、大量の情報を収録するもの、というのがカタログのスタートようです。
日本では終戦直後まで"型録"という当て字が用いられていました。
当社で現存している最も古いカタログは1893年に製造されたヒルシマン氏平流感伝電機が掲載されたものとなります。
その後、「初雪をかく」ごとに数々のカタログを製作してきました。
当社でもカタログの語源の通り、たくさんの製品情報をお客様にお伝えすることを目的としてきましたが、加えてお客様視点で解決策を提示することに長年努力してきました。
製品の機能説明だけではなく、便益をお伝えすることを大切に今に至ります。
ここでは、140年の歴史と共に製作されてきたカタログの変遷を辿ってみたいと思います。
※各カタログをクリックするとPDFでご覧いただけます。
1881年~創業当初
日本で初めて街灯が灯されてから約10年後、まだ各家庭に電気がなかった時代に創業者の酒井嘉平治がヒルシマン氏平流感伝電機を製造。
これが酒井医療の始まりとなります。カタログは一枚白黒印刷で、製品の写真を大きく載せ、主に用途や構造をシンプルに伝えていました。
1960〜2000年代のカタログ
1988年から総合カタログを作成
1988年からは全製品が掲載された総合カタログの製作を開始しました。2005年にブランドイメージを一新し、現在の「SAKAImed」になってからは、ブランドマークにも込められている、健康を願う人・支える人の双方の信頼に応えたいという当社の想いとともに、毎年皆様のお手元にお届けしています。
※2021年度の総合カタログのみご覧いただけます。